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本堂

大正15年に再建されました。(当山、十一世村上 道薫の代)

東京工業大学の万波教授(西の谷出身)の設計で出来上がりました。これからのお寺は説法や布教を中心にしなければならないということで、なるべく多くの光が入る様、障子も雨戸も大きい形で設計されています。須弥壇(しゅみだん)は総ケヤキで、幕を張る時、釘を打ったら、釘の方が曲がってしまいました。本堂の棟上げ(建前)の時は大工の棟梁さんが、本堂の棟の上で逆立ちされたというエピソードがあります。当時はテレビもラジオもない時代でしたので、布部全体の人々が集まり、その逆立ちに参詣の人達が大拍手を送ったという話が残っています。

十一世の結制の時に西堂(責任者)で来られた和尚さんが松江洞光寺(とうこうじ)の住職であった楪 大仙(ゆずりはたいせん)老師でありました。大仙老師は小僧さん時代に安養寺で修行しておられます。本堂前の偏額(へんがく)に「安養禅寺」とある書は大仙老師が書かれたものです。

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